BACK

2007年度分

2005年9月6日 台風14号による災害被害状況

宮島弥山倶楽部の皆様へ
昨年の3月に立ちあげました宮島弥山倶楽部」も皆様の御協力のお蔭で、発足一年を迎えました。
初年度、私ども
NPO港町宇品共和国が1年間、事務局としてお世話役をしてまいりました。
地元の若い方々にこの「宮島弥山倶楽部」を託せればと考え、地元の方の参加をお願いしてきました。

1年間、本当に突っ走ったように思います。
昨年は、弥山開創1200年祭という行事もあり、弥山を中心とした山野に重きを置いて活動して参りました。
何度も弥山に登山するうちに、外国の観光客も含め、多くの方が弥山を目指して登られることを知りました。
静かであって欲しいと思う反面、観光客が難儀をされてないだろうかという心配が膨らみ、標識の改善を行政にもお願いしたり、
分かれ道に表示をつけたりしました。

日本古来の文化である、町石整備もなんとか実現したいと運動をしています。
さて、今後の展開について本来ならば皆さまに集まっていただき御意見を頂くところですが、
ご多用中の皆様を一同に会する機会を作ることも難しい状況にあります。
そこで、事務局として提案をさせていただきます。
一度、宮島弥山倶楽部の仕切り直しをし、改めて宮島弥山倶楽部に参加される方の募集をしてはいかがでしょうか。
入会してはみたが、思いが違っていたという方もいらっしゃるかと思います。
参加スタイルは、活動参加型・応援団型・情報収集型と各人各様と考えます。
宮島弥山倶楽部のスタート時に、堅苦しい会にしないということを前提としております。
会則も定めていません。活動にも積極的に勧誘しておりません。
あくまで、宮島ファンの情報交換の場としての位置づけております。
行事に参加出来ないことが、心配事にならないようにしたつもりでした。
活動資金についても、カンパという形をとりましたので、思っていた以上に、郵送費等の経費がかかり捻出に行き詰まったのも現状でした。152名の方からカンパを頂きましたことをご報告します。
常にインターネットで情報を流しましたが、意外と見ておられない方も多かったようです。
郵送も併用しましたがインターネットを使用されていない方には、
情報不足というご迷惑をおかけしたのではないかと思います


平成19年2007年度
1月24日 弥山初登山。標識のチェック。
1月28日 藤原腰痛のため登山中止(Macoさんのみ、単独登山)
2月3日大聖院の節分・大願寺の星祭に参加
2月12日博奕尾ルート登山(16名参加)
3月1日大元ルート登山(8名参加)
3月10日大聖院にて木工作業(7名参加)                               
3月31日多宝塔登山(5名参加)

5月15日御島廻り参加
6月17日管絃祭に参加
8月14日宮島水中花火大会
9月8日社籠に参加
9月11日大聖院万燈会・たのもさん
9月15日弥山登山(11名参加)
9月21日大元ルート調査登山
9月23日もみじ谷ルート調査登山
10月10日内侍岩・御床神社へ
10月14日英文ガイドMAP調査登山
10月22日宮島相撲 厳島神社奉納
12月3日もみじ谷ルート登山
12月10日宮島弥山倶楽部忘年会



活動目標と実績感覚

1.飲み会 第一回飲み会 5月30日 広島パセーラ にて 野の葡萄 第2回飲み会 
年末にコーラルホテルで行なわれました

2.行政を交えた円卓会議 6月16日(金)に企画しましたが出席いただけませんでした。
3.登山道の標識作りと設置 5月16日18日20日開催 継続行事
4.平成の町石整備準備委員会の設置 6月16日(金)円卓会議で提言書の提出を決定。
5.弥山頂上付近の探検 予定しています
6.岩船山への登山 予定しています
7.陶晴賢の自害の地の石碑めぐり 予定しています
8.1200年前の食材を使った料理を食べる会 実現が出来ませんでした
9.大願寺の仏さまにお会いする会(普段は、入れません) 9月に行なわれました
10、登山道を登る ご希望がありますので随時ご案内します
10、倒木を利用して、消えずの火を使い焼印を押した木札をつくり来られた方に差し上げる 
霊火堂落慶時にわたすために7月1日に作業開始 ココをクリック

<新年度の活動目標>前期に出来なかったことの実現に努力したいですね。

また、1年経過してみて、新たに見えてきたことにもチャレンジしてみたいです。
昨年にも増して、外国の観光客の多さに驚きます。
気持ちよく帰っていただくためのもてなしの心を大切にしたいと思います。
出会ったら、英語が出来なくても、積極的に声をかけましょう。
実感としては、自分の一番自信のある言語で話しをするのが、相手に意思を通じさせる一番の方法だと実感します。
彼らも、日本語に接する喜びも感じているようです。
もちろん、日本人観光客も難儀していたら声をかけてあげましょう。

山の中での「こんにちは!!」は気持ちの良いものです。
そして、この会の一番の目的は、気持ち良く宮島に行ける事と思いますので、
無理をせず、地元の人と仲良く会話が出来るような会にしましょう。

活動内容は随時お知らせします。ご案内もいたしますので、参加できるときだけ連絡下さい。


弥山山頂付近
(危険な場所なので、簡単には行けませんのでご注意ください。)

まるで、祠を守っている狛犬か龍に見えませんか。
残念ながら、今年の秋の台風前後に、断崖に落ちていきました。
役目を終えたのだろうと、拾い上げることはしませんでした。


年末に皆様に送りました文面です。

宮島弥山倶楽部の皆様

平成十八年。
皆様にとってこの一年はどんな年だったでしょうか。

宮島弥山倶楽部が発足して、約1年が経過しました。
たくさんの出会いと出来事がありました。
弥山が好きで参加された方は、宮島全体に興味を持って参加された方など、
みなさんそれぞれの思いであったことと思います。
12月までの1年間は、弥山開創1200年祭記念事業を応援しようと、
弥山に関する行事を中心とした活動を多く企画してまいりました。

事務局としてNPO港町宇品共和国が1年間お世話をするということで、かなり独断的なやり方で進めてきました。
不愉快な思いをされた方も多かったのではないかと思います。ここでお詫びをしたいと思います。

次年度は、地元の若い方に中心になっていただきこの会に集われた皆様との“輪”をひろげていただき、
NPOとしての活動は終了と考えています。
参加申し込み用紙には、12月末を区切りとしていますが、実際には3月に立ち上がりましたので、
3月までは事務局としての役割をしたいと思います。その後については、皆さんとお話しをしたいと思います。

達成された案件もあり、未達成の案件もあります。進行形の案件もあります。
しかし、宮島弥山倶楽部は宮島ファンとして、宮島を楽しむのが目的の会ですので、
今まで通り、義務感の伴わない会として継続できればいいかと思っています。

1年経過した時点で、会の形態をどのようにするかというのも宿題として残っています。

会則・会費の問題。
宮島弥山倶楽部としての会則は現在ありません。運営費用もカンパという形で各々の意思にお任せしました。
その為、活動費が予算立てできず、郵送費等が不足したのも事実です。

この点は、今後どのようにするかの課題になります。
当初、メール送信にて伝達ができると考えましたが、案外メールを見てない方、メールを使わない方が多く、
郵送という手段を使わざるを得なかったというのも予想外でした。

活動の問題。
自分の好きな行事に参加するという主旨は、皆さんに負担感を掛けずうまくいったように思います。
毎回、行事のご案内をすると10名程度の方が参加くださり、有意義な活動が出来ました。
応援団の方も、いろいろな形でサポートしてくださいました。

また、全く音信普通の方も何人かおられました。参加意思を表明された後に、
連絡が全くないので届いているのだろうかと心配をしています。

今後の問題。
活動の範囲を弥山から、宮島全体に広げ地元の方にもたくさん参加いただきながら楽しみたいと思います。
今後については、どのような形で会として存続していくのか活動についてもご相談したいと思います。

             〒734-0004 広島市南区宇品神田5丁目20-14
                          NPO港町宇品共和国・宮島弥山倶楽部 藤原隆雄


                                   内藤さんから

1月14日、第1回の「宮島検定」試験が行われました。
10才から83才までの536名が受験しました。弥山倶楽部の人も複数おられました。
東は東京から西は福岡から、宮島を愛する人たちが会場の宮島中学校に集まりました。
常識問題から超難度の問題まで80問、バラエティーに富んだ内容でした。
合格者の発表は3月だそうです。




                              プライバシーの問題から、顔の部分は修正をしています。



1月24日(水)

参加者 
藤原隆雄・香山義弘・坂本法子・山崎美和・宮石惇・大下博昭
・伊藤太志郎

登山日記

宮島口で陶芸家の香山さんと同行の坂本さんと合流
宮島に渡り、商店街を通過
小林物産店のご主人に挨拶、くり香の坪石さんと雑談、商店街会長の木村さんの参加
香山さんを紹介しつつ雑談
町家通りに出て、町かどに出て、本日の作業予定の報告と紹介
宮郷さんへ向かうが、本日は定休日
ベルを押すと奥さんが出てきたので、竹原のパンフレットを数枚渡し
香山さんを紹介
わざわざ、お店をあけてくださって、香山さんに見せてくださいました。
将来、ここで備前焼の陶芸展が出来ればと推薦。
その後、大聖院へ向かう。
店は、半分以上、まだ閉まっていた。
閑散期なので、お休みの店も多い。
大聖院へ着くと、すでに宮石さん山崎さん、初参加の大下さんが待っていた。
住職に香山さんを紹介して新企画の説明と相談をした。
その後、紅葉谷に向かう。
香山さんが膝が悪いので、ロープウェーで行く。
駅で、ロープウェーの尾ア社長に面談
今回の企画を説明協力をお願いした。
弥山本堂に到着すると、メンバーの伊藤さんが待っていた。
12時集合予定が、30分遅れだったので
弁当を広げて食べていた。
高齢にも関わらず、四宮ルートを登って来たそうだ。元気なものだ。
香山さんたちが頂上に行っている間に、メンバーは予定の木工作業をした。
霊火堂が、煙が強く中は、すすで5ヶ月を持って、壁も真っ黒になっていた。
良い感じではあるが、やたらけむたい。
香山さんも頂上から降りてきたので、打ち合わせをし
下山をすることになった、紅葉谷ルートの分かれ道で
ロープウェーで下山する、香山さん坂本さん大下さんとわかれ
歩いて下山する。伊藤さんが遅れ気味なので、途中で山崎さんの植物の話を聞きながら
下山。予定を20分ほど遅れて紅葉谷に着いた。
すでにロープウェー組は待っていた。
大願寺へちょっとお参りして、暖かなコーヒーを求めて
「喫茶町かど」に行った。マスターに英訳のお礼をいいながら、しばらくみんなで雑談。
帰宅についた。JR組松大組に分かれた、桟橋で解散。
久しぶりの弥山登山は、気持ちよかったが、少し膝に痛みがあるのは
なまっている証拠かも。



2007.2.2


2 夕焼け





ちょっと分かりにくいのでは、大きな木に寄生する植物。
正式名「馬毛タケ」 
ニックネームは「山姥の髪の毛の元結い」
紅葉谷ルートの中頃の大木です。
登って行くと道沿い右側にあります。


2007.2.12

弥山登山 内藤さん撮影




標識研究中
表記にばらつきがあり、英語表記のないものが多く
外国の観光客にとっては、不親切なものが多い。
もう少し、一般の観光客が安心して登れるような工夫をして欲しいという
意見が多かった
右の写真は、博奕尾ルートの一番のビューポイント




獅子岩にいたサル軍団
その後、紅葉谷ルートを下る時に、分岐点で帰宅中の軍団と遭遇

 

弥山本堂の前で、ミーティングをして解散 

今回は、博奕尾ルート(大砂利地藏への道)

takaoの報告


大聖院へ集合して自己紹介。






厳島合戦を説明した看板。
「ばくちお」と読む


ロープウェー 榧谷(かやたに)駅にある、営林署の看板が、ばらばらになっていたので
みんなで、釘とひもを使って修復



紅葉谷を通過して、博奕尾ルートへ
途中、今はあまり通行のない従来の道。




ロープウェーを眼下に見ながら、三ツ岩の前で集合写真撮影。
大聖院吉田住職は、午後から用事があり、すでに下山。


ロープウェーから弥山本堂に向かう途中の道にあった
壊れた標識


紅葉谷ルートの入口から50mくらい弥山本堂に向かう道にある
19町石の前で、岩崎さんの説明を受ける
その後、一部の人は旧道に入り、21町石を見学後
弥山本堂に集合



弥山本堂から、御山神社にお参りをしてから解散
四之宮ルートを下山組み。紅葉谷ルートを下山組み・博奕尾ルートにあった未発見ルート下山組みに別れて
出発解散

今回の参加者 17名
次回は、大元ルートを登ることになっています。
日程が決まり次第お知らせします。
今回は、初体験の方、メンバーでない方の参加もあり
楽しい1日でした。

弥山へのルート チャレンジしてみてください。
行政は、もみじ谷ルート・大元ルート・大聖院ルートのみを正式なルートとして認めていません。
そのほかのルートには、標識等はほとんどありません。自己責任でお願いします。

もみじ谷ルート   大元ルート  大聖院ルート(頂上まで) 奥の院ルート

多宝塔ルート    博奕尾ルート(大砂利地藏への道)   四宮ルート



2007.3.10

木工作業
登山はありませんでした。

3月10日(土)
参加者:植木和夫・藤原隆雄・梅田正美・宮石惇・田中邦彦・藤原きよえ・Maco

今回は、下界を散策しました。




ここに英語表記の案内板が欲しいです。
よろしくお願いします。
大聖院の入口
右は、川沿いに大願寺へ
左は、もみじ谷公園へ


3月21日(祝)
「清盛まつり」

岩崎さん写真情報
    
宮島弥山倶楽部のメンバー 梅田さんが武者で参加
来年は、他にも参加希望者が出そうです

  


大聖院の僧侶 本徳さん湛海さん 右後ろに写っているのが、宮島弥山倶楽部メンバー岩国の田中さん

ここからは 宮島弥山倶楽部 藤原撮影分


  
清盛さん                                     行列























ライブの様子
宮島弥山倶楽部のメンバーが多く出演しました








上綱克彦 & Maco





まりあす                  伊藤洋子




中家志乃グループ                           Shinsuke MORIMOTO


  
トミーメグルワ                                     ノーズ


梶川純司(篠笛)


  
再び 



大聖院住職の挨拶



関係者の集合写真申し込みは、メールでお願いします


2007年3月13日 中国新聞記事



「岩国基地移設・増設」反対活動の一つとして」
14時から17時

場所は桟橋広場


出演者:8チーム
上綱克彦・Maco・まりあす・中家志乃&塩谷るみ&田中明&大西こうすけ
伊藤洋子(舞)バッドランズチーム(@ノーズ Aトミーメグルワ) Shinsuke MORIMOTO
梶川 純司(篠笛)


2007.3.31

3月31日(土) 

参加者:藤原隆雄・梅田正美・Maco・正路スマ子・他1名


大聖院では、雛めぐりをしていました。
このあと、多宝塔ルートを登りました。
参加者:藤原隆雄・梅田正美・Maco・正路スマ子・他1名


絶景ポイントから


大聖院ルートの上の堰堤あたり。道らしきものが作られている。
来年の春には通行可能との噂あり。


弥山本堂横にある、錫杖の梅が満開


弥山本堂からロープウェーに向かう道端にて

  
もみじ谷公園で見つけました。

 
山村茶屋の櫻は満開!!


撮影ポイント


TJ Hiroshima (月刊 タウン情報ひろしま)4月号 71ページに掲載



4月21日

写真の鳥はきじではなくて山鳥の雄です。
奥の院あたりでも良く見かけます

by TAKAO

ふと、思い立って弥山へ登ってきました。
2007年4月21日(土)

5時半に起床、雑用を済ませて
8時15分の船で宮島に渡る。
途中、届け物をした後
四之宮神社で時間を見ると、8時47分
ここから時間を計ってみることにした。
最近は、自分のペースで登山をすることがないので
本当は、何分で弥山本堂までいけるのだろうか?
リュックには、デジカメ一眼レフ、雨具、ジャンパー・傘を入れている。
いつもよりの荷物は少ない。
一人で、登り始める。誰もいない。
途中、下山する男性3名に会った。
途中藪の中に、キジのメスがいた。
これ幸いと、少し足を休める。
11丁を越すと、もみじ谷ルートは険しくなる。
一気に登れないので、2回ほど休む。
5分以上休むと、かえって身体が辛くなるので
息が整ったら出発。しばらく歩くと
また、休憩。
大黒天を通過
ロープウェーとの交差点に出る。
2分ほど休憩。
ロープウェーで上がってきた一段と合流。
弥山本堂につく頃には、10人ほどの一段を抜き去った。
結局、四之宮神社から弥山本堂まで、1時間だった。
最近、山登りをしていないので
厳しい時間。
休憩時間10分を除けば
今度は、50分で登れるかもしれない。
9時47分着。

弥山本堂で、守り神である虚空蔵菩薩にお参り、線香をあげて
般若心経を唱えた。
大聖院の僧である、義正さんがロウソクに火を入れてくれた
下手な般若心経に付き合ってくれて、鐘まで鳴らしてくれた。
10時24分
弥山本堂を出発
もみじ谷を駆け下りる。
最近、下りになると、右ひざに激痛が走るので
だましながら下る。
結局、四之宮神社までは、35分で下山。
もう少し早く下山したかったが
膝のことを考えると、一杯の時間。

その後、山村茶屋、平松茶屋を通過しして
大聖院へ向かう。
お気に入りの場所で、千畳閣と五重の搭を撮る。
大聖院は外国の観光客であふれていた。
しばらく、話をしていそいでスタジオに帰還。
途中、昼食を食べて、スタジオに戻ったのは
13時30分。
忙しい、宮島だった。


もみじ谷の入口
今、新緑が美しい。


もみじ谷ルートの途中で見つけた。
きじではないかと思う。近づくと、身体をぶるぶる震わせて威嚇する。
キジではなく、山鳥の雄だそうです。



  
千畳閣と五重の搭                  大聖院 摩尼殿



厳島神社の山側 駒犬の付近の櫻が満開で美しい。


2007.4.27


                           4月27日12時頃の弥山頂上風景
                             この日は、近隣の学校の合同遠足だったようです。3000人が登って来たと聞きました。




弥山本堂・霊火堂前も、銀座状態

4月27日

ロープウェーに乗ると、ミサゴの巣を見ることが出来ます。
最初のロープウェーに乗って、榧谷駅の少し手前、進行方向左の木の上に巣が見えます。
うまく行くと、飛んでいる姿も見れるそうです。
画面中央の巣に、鳥が写っています。300mmのレンズで撮っています。


2007.5.13

5月13日(日) 弥山登山終了しました


藤原隆雄・小田里奈・小田潤やまもとのりこ・ヨシリン・梅田正美
伊藤太志郎・宮石惇・大聖院スタッフ福嶋

  
錫杖の梅

奥の院へ下る道。今まで気がつかなかった石碑。
明治にしては、きれい過ぎるのが不思議。
下って、左手にありました。
今まで、工事用モノレール軌道があったかもしれませんが
それ以前にも気がつきませんでした。



吉田正裕・寺尾幸章
藤原隆雄・
梅田正美・木村力・植木和夫・浜田公道・福島俊を・中川洋・井手畑隆政・Maco・上綱克彦・坪石剛・楠勝浩・山辺昌彦・大下博昭・祝弘子・祝雅治・四国百々姉妹
竹本宗文・伊藤洋子・石田美佐子・小田潤・
宮石惇・伊藤太志郎・正路スマ子藤登文枝高橋裕子上方尚美吉岡妙子

藤原が四国歩き遍路の時(4年前)にお世話になった、足摺岬の手前の民宿「久百々」の女将さん姉妹が広島に来られていて、遍路をされた吉岡さんと3人で、急遽3人が参加されました。翌日は、宮島に行くということ、是非参加してくださいと誘いました。



6月2日に行なわれた、県立大学での講演会の資料をご希望の方は、連絡下さい。
頂いた資料をコピーして郵送します。
スライド投影した写真もあります。

著作権に関わる問題があります。
あくまで、メンバーの方にお渡しするものです。
(コピー代とプリント代郵送料を頂きます。振込み手数料は、100円ご負担下さい)

 1.資料コピー B4サイズ 15枚
2.プリント 23枚(ハガキサイズ)

総額 1000円
(資料コピーのみの場合は、160円)


大願寺所有の絵図から現在の地図の照合








  



スライド投影を写真撮影したものですから、画質等はよくありません。
彩色された雰囲気をつかむ程度です。

23枚あります。






2007年6月13日
弥山登山と植物観察 他

(植物の名前をクリックすると、図鑑とリンクしていますので詳しく知ることが出来ます)
時間が記載しています。いかにのんびり登山をしているかお分かりと思います。



最近、ロープウェーへの標識が整備され観光客も
分かりやすいと好評!!


岩惣の近くにある高野槇

 
奥もみじ谷公園がある事を知った

写真はありませんが
テイカカズラ



ほとんど知られていない神木
奥もみじ谷公園にあります。川を渡ってすぐの場所

久久能智の聖木
 9:49
モミノキの巨木で胸の高さで周囲が4.58m 
   


川を渡って、もみじ谷ルートに戻る


10:03
 
雌と雄の木がある。葉にウエーブが付いており風が吹くとそよそよとなる。
ソヨゴ

写真はありませんが
カヤの木

ナンゴクウラシマソウ  花が終わった後長い釣り糸のようなものが残る。
10:12


この場所が、観光客の間違いやすい道。つい右の道を行く
左がルート、看板がもう少し右にあると迷うことはないかも

10:13

10:34
カゴノキ  鹿児の木。幹の迷彩柄が特徴



 10:35


シロダモ 「花も実もある人生」などいわれ、秋には花と実を同時につける植物。新芽は赤外線を避けるため赤くなる。
 10:37



10:41
ツクバネガシ ウマノキダケ  弥山倶楽部で紹介されていました。別名「山姥の髪の元結」

ちょっと分かりにくいのでは、大きな木に寄生する植物。
正式名「馬毛タケ」 
ニックネームは「山姥の髪の毛の元結い」
紅葉谷ルートの中頃の大木です。
登って行くと道沿い右側にあります。


写真はありませんが
ネズミモチ


 10:52
ここまでは、距離を明記した英語表記の看板がある。


10:57
11丁石 前の石に元々くっついていたのかも
今は、倒れたまま放置してある。


10:59
この標識から、英語表記がないので外国の観光客は困っている。
聞かれるのは「あと、何分ですか?ここから道が険しくなるので
距離・標高も明記した方が安心!!
もちろん、時間。
参考にしたいのは、ロープウェーからの道の交差点までの
距離を明記したほうが、気分的に楽ではないかと思う。
600mを引いた距離。
このあたりから、本当に息が切れるほど苦しい道になる。
励ましの言葉が欲しい


11:11

ヤマボウシ    白い花が満開。少し離れた谷に一面真っ白に咲いていました。

 


11:09
倒れていた標識を、最近簡易に立ててあったが
すぐに、倒れてしまい、標識に見えない。


11:12
標識への手前の道は、急な道で崖に柵がしてある。以前から壊れていたのが修理されたが
残骸が標識の下に放置されたままになっている。



2番目に道に迷う場所。
左に間違って行くと、昔炭焼き小屋があった形跡があるが、行き止まりになる。
右に、ちゃんとした道があるが、初めての人は間違うようだ。
11:14
11:22

11:24



ロープウェーからの道と合流して頂上を目指す途中
湧き水が湧く場所があるが、そこに自生する食虫植物

11:56
モウセンゴケ

ハスノハカズラ
 11:59

12:00
ホウロクイチゴ


12:03
アカガシ
山頂付近の老木。弥山の母、他人の子まで育てます。


弥山本堂で昼食
13時に下山開始



 13:12
弥山の紅葉の主役
ウリハダカエデ


写真はありませんが
ガンピ


博奕尾は、獅子岩駅の手前の小山を越えて下山をします。
下山入口は、2箇所あります。
13:20


榧谷駅の直前
13:38

ここから直進して、ロープウェーの駅の下をくぐり、細い獣道を登って行きます。

13:52
ネジキ  花も見てください


写真はありませんが
アオダモ


13:55 
山を登りきった平坦な道に、古い標識があります。
下山方向左


大砂利ルートの分かれ道にある新しい標識

14:11

ここから10mくらい下った場所で、2本のルートに分かれます。
直進はハードな道なので
普通は、左 5mくらいに整備された道がありますが
わかりずらいので、大抵は間違って直進をするみたいです。
緑のビニールテープが2箇所巻いてあります。
消防団がつけたようです。

しばらく下ると、鳥居が素晴らしくきれいに見えるスポットがあります。
その場所にヤドリギが自生していました。
 14:18
ヒノキバヤドリギ  絶景ポイント付近にありました


包ケ浦との分岐点。
ここから下っていくと
もみじ谷・桟橋・ホテルまことに出るルートがあります。

14:29


初心者も交えた楽しい登山でした。
もう少し、観光客に親切な標識が欲しいというのが感想でした。


2007.9.15(土)

弥山登山 

もみじ谷ルート経由弥山山頂、大元ルート下山。

<目的>

久しぶりの登山を楽しみました。町石の見学とルートの整備ボランティア。
あわせて、外国の方へのアンケート調査(アンケート用紙を持って行きますので
、出会ったら書いてもらいます。)

宮島のNPOの方が、英文弥山ガイドMAPを作る予定があるようで、
宮島弥山倶楽部でも協力しようと考えています。
宮島弥山倶楽部のメンバーの方には、頻繁に弥山山頂ををめざしおられて、
どこで観光客が困っているかご存知でしょうから、
知識を提供できればと考えています。あまり、堅苦しくは考えないで下さい


参加者

伊狩文隆・梅田正美・藤原隆雄・岩藤綾子・宮石淳・内藤達郎・山辺昌彦・立花英美苅田敬子
赤木淳子鈴中直美(取材のため途中下山)・山崎美和(午前中のみ参加) 
集合時間のみ合流 岩崎義一


<スナップ記録>

楽しみにしています。
弥山山頂付近には、修験者の修行の場が各所にあります。
龍ケ馬場も調べて欲しいです。

17町には、弁財天もあります。

 
もみじ谷ルート入り口付近で 説明がスタート 
もみじ谷ルートの入り口が観光客には分かりにくいと判明!!(左写真)
もみじ谷ルートの中間点付近で休憩案内の山崎さんから凍ったパイナップルを振舞われて生き返る。
この辺から空気の感触が変わってくる(右写真)




もみじ谷ルート18町辺りにある洞窟(起点石には大黒天があっあと記載)。
大黒天になった気分で鎮座。(左の写真)

弥山本堂で食事後、記念写真撮影。
全国ネットのテレビ放映の影響か、弥山へ登る観光客がふえ、霊火堂のお茶をのむ人が増え、
大聖院の僧侶も管理が大変になった様子。
このときも、猛暑のなか、20人くらいの観光客が境内に居た。
ロープウェーの方に聞いても、今まではロープウェーの終点、獅子岩駅で引き返す観光客が多かったが
30分かけて弥山を目指す人が増えたらしい。




毘沙門堂やくぐり岩、鐘楼のあった場所付近。ここには、古い町石もある。(左写真)
頂上にある大岩。真ん中にあるのは、24町石(昭和天皇が皇太子の時に来られた記念碑でもある。
この後ろを大岩の間を抜けると、頂上展望台に出る。(右写真)

弥山展望台から見た景色。


陰陽石の片割れ。女性が立っている場所には、弁慶の足跡がある。

<1>元の頂上の地点(約 530m)
<2>昨年改定された弥山頂上地点(530mになりました)

<3>弥山本堂・霊火堂・三鬼堂から登ってくると、この場所に到着。ちょうど、24町石が裏手になる。

<4>陰陽石の片割れを抜けて下ると、干満岩・かいせん岩・大日堂・最古の町石に遭遇
石段をくだり、21町石を見ながら、左の道を行くと、弥山本堂・霊火堂のある広場に出る。
そこを通って下ると、ロープウェー・もみじルートにつなが。
左に下っていくと、御山神社・水掛地蔵・クジラ岩・奥の院・駒が林・大元ルート経由大元公園への道となる。
大聖院ルートもあるが、現在は通行止め。

大聖院ルートまでの徒歩10分間の間に、古い町石・伊藤博文が寄進した町石もいくつか残っている。

注意事項
大聖院ルート・奥の院ルート・大元ルートの交差点にある看板には
なぜか、駒が林の名前がないので注意。
大元ルートへ向かう途中。右に駒が林、t直進大元ルートがあるが、迷いやすい。

下の写真は、交差点から弥山へ向かい仁王門のあった場所を撮影。
標識等には、仁王門とあるが
実際には、仁王門はなく敷石のみ。
仁王門を探す観光客は多いが、ちゅうい。(実在しない)



大元ルーとは、石段の続く何コース、膝を痛めやすいので注意。
途中

岩屋大師も必見
弁財天
しばらく下りと、冷風が出てくる、風穴がある。
ここでしばらく休憩すると、楽になる。弘法大師も祭られています。





2008.6.13 中国新聞から



宮島の七不思議の再来

愛媛新聞でも、紹介がされていました。

興味あるブログを見つけました。

満願寺のしぐれ桜。

やはり朝倉にある満願寺。
奈良時代に開かれたお寺です。
(廃仏毀釈を乗り越え、金比羅山もあります)
ここはいろんな木があって、山門をくぐるとモミの大木が迎えてくれます。
そしてさまざまな種類の桜が。

んな古木からも、地を這うように枝が広がり花が咲き誇っています。
ソメイヨシノや紅枝垂れ桜はまだもう少し。
満開が楽しみです。

【追加情報】
お寺に人にうかがったら、下の写真の古木が元々のしぐれ桜(母木)だそう。
すっかり朽ちてしまっていたのに、枝が伸びてまた花をつけるようになったそうです。
また、宮島へこのしぐれ桜の子ども(実生か接木かは?)が近々移植されるとのこと。



万願寺はどこにあるのだろうか?

ここをクリック


情報を頂きました

管弦祭の三艘を組立てる基舩です。

7月19日(土)管絃祭 

 










昨年の管絃祭風景


2007.3.8

弥山登山道は、安全に登れるようになっています。
もみじ谷ルート・大元ルート

大元ルート、登山道倒木除去の様子

3月8日に、2ヶ月間放置されていた大元ルートの倒木による道の封鎖は、解除されました。
これで、安心して登山をしていただけるようになりました。
今年の雪は特別なのか、宮島の山は今、大変弱っています。
何とかしないと、可愛そうな山になってしまいます。








どうしてというような場所に、倒木はありました。


本当は、一番危惧されること 警鐘はすでに鳴っています

結局は、土砂災害となって下界に被害をおこすことになる
バッファゾーンの破壊は、しいては、
世界遺産の取り消しにもつながるのでは

6月4日

西日本タイムス記事はここをクリックください。リンクしています。


5月16日の中国新聞記事から  ここをクリックください


終了しました

ひさしぶりに登ってみんかいね
世界文化遺産のバッファーゾーン
弥山 環境見にWALK 
      (かんきょう み にウォーク)

コース
A Walkコース 紅葉谷ルート・・・弥山頂上(調査報告)・・昼食(解散)・・・大元ルート下山

B ロープウェーコース ロープウェー・・・・弥山山頂(調査報告)・・・解散
(ロープウェー料金は各自負担)

主催:世界文化遺産厳島を考える会(仮称)

協力:
(社)宮島観光協会 宮島町商工会 表参道商店街 宮島」飲料組合 宮島物産組合
宮島旅館組合 宮島菓子組合 宮島ロープウェー 大聖院 宮島弥山倶楽部

専門家の顔ぶれ(敬称略)

     自然・植物 元宮島自然植物実験所の副所長 豊原源太郎(元助教授)

     町石    広島市    岩崎義一   参照ください

土砂災害についての専門家の安藤進一さんは、ご不幸があり参加が出来なくなりました。
以下のメッセージを送られきました

問題点
1.崩壊斜面頭部の不安定残積土とそこに残る立木が再滑動し、谷部に埋積。
  そこでのフラッシュによる土石流発生の可能性。
2.山頂部の地被植物による保水機能がなく山道を承水路した地表水の集中が短時間で大きい。
対策
1.山腹斜面での保水力を高め、地表水流下時間の拡散を計る。
  風倒木一本一本を利用した階段状斜面を作る。・・・土砂・落葉の溜まり場
2.参道、登山道を承水路効果にしない構造を風倒木利用で工夫する。

宮島の特長・・・硬質花崗岩分布深度が浅く、腐植土堆積層が薄いため植物根の侵入を妨げている。

 


講師の紹介と準備体操

 


起点石での説明 折れた8町石の復元を切望 頂上では記念写真撮影

69名の参加がありました


セッコクの花が美しかった

  
弥山本堂前で講師のお話を聞きました


みなさん熱心に聴いておられました

 
  廿日市元市長の山下さんも参加されました。 県議でもある息子さんも歩いて登られました

          
<土壌について専門家の意見を掲載します>

弥山山頂の状況を観察させていただきました。
まずは、宮島全体が松枯れの進行が著しく、松の根による斜面崩壊抑止力がゼロに近い状態であります。
従って、抑止力ゼロとともに、松の根が腐り、根の進入箇所である割れ目、
節理面に地表水の浸透が活発になり、異常な浸透圧が発生し、
岩石崩落が今後多くなることが予測されます。
また、参道が地表水の流路となって地表水の集中があり、
集中した地表水の斜面流下で表層堆積物が押し出されて谷部に集中したと推定されます。
地質的には、
一般的に観察される風化形態である山頂部に厚い風化帯が分布するのではなく
全体に硬質な花崗岩が地表部まで分布し、
地表水の地下浸透を抑制し、地表水の流出量増加と流出時間短縮で谷部の異常な出水につながって、
谷底に分布する硬質花崗岩で谷の下方浸食ではなく側方浸食が活発で、
わずかに分布する堆積物を押し流しながら土石流となって密度を大きくし、風倒木や伐採残留木、
さらには巨レキを先端に押し流して被害を大きくしていると思われます。
岩屑地帯に植生する松に代わる雑木の生長を期待するために腐植土層形成を促す立木を利用した
効力10年程度の小規模風倒木ダムを作ることも一案と考えられます。

追伸
厳島・宮島の松枯れについて
中国新聞社「瀬戸内を歩く 下巻 環境・地誌編
止まらない松枯れ-宮島・弥山 1998年
この資料の中身をみていませんが、10年前に松枯れを危惧されていますが、
一般にいわれる伐採後10〜15年の斜面に崩壊が多いとされている。
松枯れがひどくなつてからの年数がほぼ一致するように思われます。
植林と腐葉土作りを地道な継続する運動で、緑と安定した斜面を作りたいものです。




当日、詳しくお話を聞くことになっています。


また、同時に宮島に残る文化遺産である町石が60年前の土砂災害が紅葉谷では、かなり欠落しています。


昔は、土砂災害の後は、皆さんの寄進で町石整備がされたように聞きますが
残念ながら当時はされなかったようです
今回、是非皆さんの協力を得て町石整備が出来ればという思いもあり
現在、町石整備の研究をしている岩崎さんにも
案内をしていただく予定にしています。
是非、先人の知恵を学んでください。

宮島弥山倶楽部はサポート隊として参加しました(20名)


弥山の素晴らしさ写真(メンバー 内藤達郎さん)
 


2007年の大祭 6月17日(日)

大願寺 2006年の大祭の様子

  

  

弁財天は撮影禁止なので、お見せすることは出来ませんが
琵琶を持った一般的な姿とは違い、勇壮と思わせる、8本の手を持った姿をされています。
是非、この日のご開帳にあわせて来られる事をおすすめします。

厳島弁財天大祭(大願寺)



大願寺は、明治維新まで厳島神社を始めとし、各寺社の修理造営をつかさどっていたので神社とのつながりも深く、
現在は山門と堂宇しか残っていないが、厳島神社が隆盛を続けていたころはかなり壮大な伽藍を持っていた。
当寺には厳島弁財天が祀ってあり毎年6月17日には大祭が行われている。
厳島弁財天は江ノ島、竹生島と並び日本三弁財天の一つに数えられている。


亀居山放光院とも言い、その開祖は不明ですが、建仁年間(1201〜1203)の僧了海は中興の祖として仰がれています。
また、大内義隆時代の尊海、円海の二傑僧も寺運の興隆に寄与すること大でした。
 明治の神仏分離で厳島弁財天を始め仏像仏具は殆どこの大願寺に移されました。


大   祭  毎年6月17日

連絡先 広島県佐伯郡宮島町  TEL 0829−44−0179



山辺さんから

何の写真が分かり難いですが、これは「ニュートンの林檎の木」です。
  

1665年ニュートンが庭でりんごが落ちるのを見て「万有引力の法則」を発見したと言われています。
このりんごは「ケントの花」と呼ばれる品種で主に料理に使われるそうです。
また成長の途中でよく落下する性質があるそうです。
ニュートンが見たりんごの木が実の落ちにくい品種であったら、
「万有引力の法則」は発見できてないかも知れないという人もいるとか。
そのりんごの木は1814年に枯れてしまったそうです。
ところがこの木が枯れる前に接木で子孫を残すことを試み成功した人がおり、
その2代目の木は記念樹として今も現地で大事に保存されているとのことです。
このニュートンのりんごの木は世界各地に贈られ、日本にも小石川植物園に植えられている。
その分身であろうか、ここ安芸の宮島にも「ニュートンのりんご」の接木樹木が広島大学植物実験場の
一角に植えられています。鹿に食べられないように鉄網の檻で囲まれていました。

宮島弥山倶楽部メンバー 梅田正美さんより


極楽寺から見える 石鎚山  
年に数度見ることが出来るそうです。3月頃が一番良いそうです。




悲しい出来事
9月15日の宮島弥山登山で、お気に入りの地蔵さんに会いに行きました。
参加者の方にも紹介しようと思いました。
普段は、人も入らない頂上付近の岩場の下に安置されています。
昔、修験者が修行した場所ではないでしょうか。享保年間に安置されたと地蔵には記載されています。
3体が仲良く並んで安置されていました。
マムシがいるので気をつけるように言われていたので、杖であたりをたたきながら前に進み、地蔵を見つけたとき
悲鳴をあげてしまいました。
台風の影響なのでしょうか、地蔵はうつ伏せの状態で倒れていました。顔や胸には、枯葉や土がこびりついていました
反対の地蔵も倒れていました。
可愛そうにといいながら、お越して顔の泥を払い、元の場所に戻しました。
残念ながら、周りの部分の上が少し欠けていました。
次回の登山では、写真を撮るつもりで来ました。
そして感じたのが、毎日スタジオで見ていて、当たり前のように思っていましたが、お顔は5cmくらい
いつの間にか、大きな地蔵に思えていました。


1年間のご褒美

12月3日 宮島弥山倶楽部のメンバーと大砂利地蔵の清掃に行く予定になっていた。
あいにくと、前夜から雨。
リーダーの山崎さんから電話があり、雨天中止。

私は、予定をしていたので急遽予定を変更した。
私にとっては、雨は関係ないので
久しぶりに、弥山本堂の虚空蔵菩薩にお参りをしたく
女房に、むすび2個を作ってもらい
朝5時30分起床。宮島に出発した。
雨は降っていた。
雨に濡れて、木々はしっとりとした落ち着きをして迎えてくれた。

もみじ谷を登っていくと
紅葉の時期はすでに過ぎていたが、落葉の赤が目に飛び込んでくる。

 


もみじ谷ルートを登りはじめると
森の中に、宝石のような輝きをして色が見えてくる



 

 
弥山本堂に近づくと
一角にため息の出るような一角がある。
そばには、弥山の母の木もある。
 








頂上は、快晴に変わっていた。
海の輝きと虹のショー
多くの観光客が、息をきらせながら登って来て
感嘆の声をあげる。






宮島で一番紅葉が美しいといわれる
大元公園もみじ谷公園
赤い絨毯の上を歩くような
やわらかいクッション
鹿がこちらを見ている
誰もいない、公園に晩秋の空気が流れ、時折さしてくる太陽の光に
紅葉の色が浮き出てくる

 

 


宮島弥山倶楽部 忘年会


宮島弥山倶楽部のメンバー 高見沢さんから

******* 参考になれば ***********************************









10時過ぎに五日市の自宅を出発
たくさんの観光客の末尾について宮島上陸(11:15)

多々良林道分岐(11:33)
厚着の服装から一肌脱いでいざ。
最初から急坂。いつまでも急坂。どこまでも急坂。息も絶え絶え。何度も小休止。
奥の院手前からやっと緩斜面になり、弥山方面との分岐点の林に駐輪(12:15)
自転車から降りることなく、とにかく登り切る。大体予想通りのタイム。初冬と
は思えぬほどの大量の汗をかく。標高差約340Mでした。
ここから徒歩で駒ヶ林山頂(12:26)
山頂で簡単な昼食をとり、下山開始(13:15)
林道分岐(13:22) 
登り42分下り7分でした。
乗用車などに出会いこともなくノンストップでした。直線的なコースで急坂です
からブレーキに神経を使います。また、落ち葉でスリップしようにもなりました。

続いて、大砂利海岸、あわよくば青海苔海岸まで脚を伸ばそうかと当初考えてい
たが、疲れもありギブアップ!近日の宿題です。

再びたくさんの観光客の行列末尾についてフェリー乗船。五日市駅を経由してぶ
らつきつつ、帰宅しました。

自宅から往復 走行距離 約50KM 走行時間 約3時間 でした。

自転車は通勤用に使っているクロスバイク(GIANT ESCAPE2)です。
宮島の車道はあまり荒れていませんのでロードバイクでも充分走れると思います。
ただ、海岸線は小さなカーブとアップダウンが連続しますので、スピードはあま
り出せませんね。とにかくたまに出会う自動車との出会い頭が最も怖い。

********************************************************

いかがでしょうか。バイクで走る宮島のあり! と思います。楽しい時間を過ごしました。

赤井御門守写楽齊さんの日記から

あー、ちか(疲)れたなー・岩船山調査行
2007年11月26日

 

11月21日のこと。
宮島の西の端にある岩船山(466m)まで行ってきた。
50を越えてからというもの、もっぱら等高線沿いに歩く 事を旨としてきたが、
その志を曲げざるを得ない事態と なった。

というのも、
宮島のシカによる樹皮食いの調査をしている 広島大学大学院のSさんの指導をしているということに
なって いるので、
逃れることができなくなったからにほかならない。

シカの樹皮食いは、ごく限られた範囲に集中しているのだが 「なぜ、そうなるのか」を解明しようという
研究である。

餌付け(と同等の行為も含む)によるシカの定着と集中が その大きな要因というのが、私たちの仮説である。

この仮説が、本当に正しいかどうかを確かめようというのだ。

そのために、人のほとんど入らない地域でのシカの生息状況 と土地利用を把握する必要がある。

これまでも、何度か計画を立ててはいたのだが、諸般の事情で 延び延びになっていたのだ。
しかし、修士論文にまとめる必要上
この難行苦行をついに決心させられたということである。

しかーし、そのような受け身の動機とは別に、本当は、行って みたかったのだ。

1995年に分裂して、岩船山周辺に遊動域を構えたサルの群れに 出会えればこんなにうれしいことはない。

というわけで、出かけた。
登山口から急坂を登りつめ、尾根筋にでると目の前には
穏やかな海と遠くにかすむ島々を見渡す事ができる。
まさに瀬戸内なのだ。
行く手の先には、遠く、岩船の三つのピークが待ちかまえている。
なるほど、かなりの距離だ。
そんな景色を愛でながら、しかし目はしっかりと食痕の有無を 確認している。
登山道は比較的よく整備されているが、コシダが踏み痕を 覆っているので、結構歩きにくい。
シダが足をすくい、それが結構な抵抗勢力なのだ。
靴の紐はすぐに解け、そのたびに結び直すのも面倒だ。

岩船山は466mとそれほど高い山ではないが、アプローチが 長く、
しかも急峻なアップダウンの繰り返しで、決して楽な
山行ではないが、山頂周辺の森は他では見られないような特徴 を有していて、なかなか魅力がある。

たわわに実をつけたシャシャンボの大木やコウヤマキ・ヒノキ群落 を抜け、
アカガシやツクバネガシのドングリを踏み分けて山頂に。
ここには宮島には珍しいタカノツメの群落、
そして、岩場には 今世紀に入って激減しているミヤジマママコナ(ゴマノハグサ科・
シカが食物として利用し始めた)が群落を形成していた。

ここで昼飯に。
弁当は、宮島口上野の穴子飯弁当だ。
これは実にうまい。
穴子の骨の出汁で炊いた醤油飯に、甘みを抑えたさっぱり 味の地穴子の蒲焼きを隙間なく並べた駅弁は
山陽鉄道宮島口駅の名物に恥じないものだ。

時刻ははや2時。
帰りは、別ルートで調査を続けながらの下山となる。
急斜面を下ると、目の前をケモノが通り過ぎた。
なんと、サルではないか。こんな幸運があるだろうか。
すばらしい偶然だ。
しかし、サルは私の顔を見るや、そそくさと森の中へと 姿を消した。
おい、そりゃないだろう。あんまりに薄情じゃないか。
と思ったが、考えてみれば無理もない。
分裂したのが12年も前の事だ。
私の顔を知るサルはもういないだろう。
サルがサルとして野生の暮らしをしていることに安堵した ということにしておこう。

ルートを左にとって、一気に海岸に向かう。
赤いサルトリイバラの果実が半分に割れて落ちている。
サルの食痕だ。どうやら、サルは海岸近くから私たち と逆のルートと通って、峠で出会ったようだ。

途中にリュウキュウマメガキが小さな果実をつけて いたが、サルは食べていないようだ。

ここまで下ってくると、膝が笑い出した。
小僧のくせに、殿様を笑うとは笑止千万。
言語道断、父兄同伴、抱腹絶倒、人跡未踏である。

頭も膝につきあって壊れてしまったようだ。
さすがに、身体が重すぎるのか。
最近では自他共に認める運動家 で、運動不足ではないはずだが、どうやら運動の質の違いがあるようだ。
運動は口や頭ではなく、全身を使わねばならないのだろう。
ちょっと、運動の仕方が間違っていたようだ。
大いに反省しよう。
これからは、棍棒や石なども使った方がいいかも。

海岸の道に出た。すでに陽は傾き始めている。
海は光り輝き、山肌は赤みが差している。
正しい瀬戸内の風景がそこに広がっていた。

美しい風景に疲れもどこかへ飛んでいってしまった ようだといいたいが、物事はそう都合良く行かない。

収穫があったとはいえ、とにかく、疲れました。
当日と翌日、両足は筋肉痛。しかし、次の日には その痛みは完全に癒えた。
まだ、若いじゃん。それを実感した岩船行であった。

写真左 コウヤマキ
写真中 岩船山遠景
写真右 三角点(岩船山山頂)

宮島弥山倶楽部のメンバー 上方尚美さんが宮島で結婚式を挙げました。
報告のハガキが来ましたので、紹介します。



上方から小迫さんへ 今は、ご主人の勤務先の大阪に在住。
本人岩、曰く、宮島弥山倶楽部大阪支部長に就任。


「弥山倶楽部会友」のK氏より


10月22日 宮島相撲 厳島神社奉納土俵入り
<1>


<2>


<3>



<4>


<5>

2007.10.10(水)


                    御床神社神社行きは、一般の方は絶対と言っていいほど無謀なコースです。あえて、
                    行けない皆さんへ大変さを紹介します。
                    今は、ルートがなくなっていて、相当道に慣れた方の案内がないと無茶です。
                    一人で行くなんて、もってのほか。
                    一番いいのは、船をチャーターして海岸から上陸するのが一番良いでしょう。

10月10日(水) 内侍岩・御床神社へ行く

このコースを行かれる方は、広島大学の敷地内を通過しますので、必ず許可をもらってください。

参加者

山崎美和まりあす・藤原隆雄・宮石淳・山辺昌彦・カヤッキー・ヨシリン・ヒロコ

宮島弥山倶楽部の山崎美和さんの案内

実際のところ、山崎さんの案内がなかったら、とても行けるような場所ではありませんでした。

少しだけ写真で紹介します。近日中に画像を整理して報告します。



この場所で申し込んで行きました。



 
砲台あと




ニュートンのりんごの木


鹿に食われた幹

 

 







メスの方がはるかに大きく、子供のようなオスが機会を見て
子孫を残すためにアプローチするが、食われてしまうオスが多いとか



向こうの岬に御床神社が見えてきた
右は大江浦の海岸
海岸には、珍しい花が咲いていた。








大木を利用した電柱、今は朽ち果てている
海岸には、発砲スチロールが散乱している
















大江浦を過ぎると道らしきものがない。藪の中を先導の山崎さんが進む。

   


大川浦には出ることなく、山中に入っていく
シダが背丈もあり、茶色の胞子が飛び交い、喉は痛くなり、くしゃみが出てくる。
顔はパウダーを被ったようになる。








美しいコケが気分を和らげてくれる。




分岐点はあっても、とても案内人がいなければ前にも後ろにも進むことは出来ない。




 
面白い木、、そしてきれいなキノコ
残っていると言うことは、毒があって鹿やサルが食べないということ
時々、青い果物を途中まで食べて捨ててある。









 





鳥の巣が見えますか?








いたるところで、シダが繁殖して植生を犯している。

  
   つるに巻かれた木が開放されてうれしそう






御床神社



亀甲模様がはっきりしている



まりあすさんのライアの演奏、横笛の音も聞くことが出来た







開拓団の跡 今でも耕作をしている様子 しかし、シダが自然に帰しているようにも見える














大江浦 帰りは潮が引いていていた。
ここの海岸は、妙にこげ茶色の印象がある。
鉄鋼船の残骸が海岸に放置されている




カキいかだが美しく見える






奇妙な岩が多く点在する。人工的にも見える。




内侍岩



悲恋の話を聞いた


  
内侍岩からは、ますっぐに道路へ向かって崖を登った

takao 日記より抜粋

7時45分に集合場所に着いた。車でわたる。宮島側の桟橋で4名を乗せて出発。
すでにヨシリンは、広大の研究所に到着と連絡あり。まりあすさんたち2名が遅れてくると連絡あり。
20分ほどで大学に到着した。しばらく待っていたら、まりあすさんたちがタクシーで到着。
研究所の方々は、船で宮島に渡って来た。
パンフレットを頂き、記念写真まで撮っていただき、いよいよ出発。御床神社神社まで向かう。
所要時間は、5時間。ここからは全て徒歩。
最初の別れ道を確認して、数分でまず砲台に到着。
ここで説明を受けた後に、本格的な山に入った。
マムシも多いと聞いているので、足元は注意。隊列を決めて行く。
今までの宮島の道とは、雰囲気が違う。
大学が管理している地域なので、観察と保護がしっかりとなされている。
道も30cmほどだが、比較的歩きやすい。
四国歩き遍路を思い出す。登り下りが続く、景色は山の際を廻るコースなので、
展望の開けた場所は美しい。だんだんと険しくなっていくのは感じながらも、
1時間ほどで大江浦に到着した。
ここで大休憩。それまでにも小休憩はあったが、15分くらい休む。浜に出ると、
廃船のの名残の鉄くずや、打ち寄せた発泡スチロールが山済み状態。
ここから1時間ほどかけて、御床神社へ向かう。
大川浦には出ることなく、山の中をさまよう様にして歩く、沢を何本も渡り、ロープを伝い行くが、
大江浦までの道とはまったく違う道になった。
本当に道なき道である。先導の山崎さんは、くもの巣を払いながら歩く。
赤いテープと紐の目印が頼りではあるが、絶対に一人や道に疎い人では行かない道。
場所によっては、背丈もあるようなシダの中を抜ける。
シダの胞子が舞い上がる。足元を確認するすべがない。
マムシに注意する余裕もない。
何とか御床神社神社にたどり着く。素晴らしい天気の中で、御床神社神社はあった。
まず、まりあすさんが先陣を切って行き。
お参りをする。その後みんなでお参りをして昼食。
その後、まりあすさんのライアの演奏を聴き。
13時出発。
少し足を延ばし、開拓団の跡地まで行き見た。
こんな場所に、よく暮らせたなとい思う場所には、
どこから持ってきたのか、1.2mくらいの石垣が残っていた。
まだ、畑をしている様子の場所もあったが、どうやって収穫したものを運んだのか?
当時は、お金がなくて船も持てなかったという。
この山野を6km近く歩いて運んだのかと思うと、気が遠くなる。
帰りは、途中海岸線にでて内侍岩を見た。
予定では、海岸線を歩く予定だったが、海岸線が出なかったので、急勾配のシダの中を必死で登り、
大学まで戻り無事帰還。ここで、走って帰る人、歩いて帰る人、車に乗る人と別れて行動。

以前の撮影


宮島の元になった神社と言われる御床神社


海上から見た内侍岩


ここをクリックして参照ください。
今までの資料に、資料があります。


終了しました


宮島弥山倶楽部

10月14日(日)

英文ガイドマップ作成の最終チェック
楽しい登山でした。
今回は、アメリカ人のカーラさんが参加して
外国人から見た宮島やMAP制作上の情報を多くいただきました。

もみじ谷ルート登山 約2時間半 
弥山本堂 12時過ぎ到着 昼食
弥山山頂経由・御山神社・大元ルート下山

今回は、宮島大川浦で縄文時代の遺物を発見した荒木さんがさんか
弥山山頂の遺跡について、さわりを聞くことが出来ました。
今まで考えてもいなかった、遺跡の跡の発見もあり
今後、是非参加していただき、一緒に山頂付近のことを知りたいと思います。
今年の冬が楽しみです。


<参加者>

藤原・梅田・荒木・梅田・カーラ・伊狩




今年は、多くの観光客が山頂を目指すようです。
どこの国へ来たのかと思わせるほどの、外国の観光客の多さにおどろきます。
テレビの放映の影響か
霊火堂の消えずの火から頂く、お茶を飲む方が多くスタッフも大忙しの様子。
観光スポットになった、くぐり岩でもカーラさんの記念写真撮影。
結局、下山したのは、5時30分。
体力的には疲れた登山ですが、楽しむことが出来ました。


募集中


詳しくは、ここをクリック

宮島弥山英文ガイドMAP

現在、宮島にあるNPOからの要請で、弥山を中心とした英文ガイドマップの提案物製作のお手伝いをします。
製作に参加したい方を募集しています。
具体的には、一緒に山に登っていただき、外国の方にアンケートを手渡したり、迷いやすい場所の検証。
残存する町石の位置の確定。
詳しい地図が手に入りましたので、具体的に地図に落とし込んで行きます。
日程は、HPを通じて行います。
参加希望の連絡のあったかたについては、直接連絡をいたします。
この秋、宮島を一緒に楽しみませんか。
出来ました、ガイドMAPは、11月23日24日に行われるもみじ茶屋でのイベントで発表されます。
現在、印刷物として皆さんに配る予定のものではありません。
貴重品となるやもしれません。参加された方には、お礼に差し上げたいと思います。

スタジオタカオ 藤原

英文アンケートをご覧になりたい方は、ここをクリックください。
現在、弥山頂上・弥山本堂・ロープウェー獅子岩駅にBOXもあわせ置いてあります。
随時。商店街や旅館ホテルにもおいていただくことになります。



以下は終了しました。
今後も、継続して行います。次が決まりましたらお知らせします。

9月21日 大元ルートを登りながら調査・撮影。



1町(ルートによっては丁とも書く)は109m

このあたりから、一気に高度を上げていきます。
風穴(15-16町の間)までがんばって、天然のクーラーで身体を冷やします。


9月23日は、もみじ谷ルートを撮影

 
気持ちの良い場所です




一番の難所です。昔は、天然橋と呼ばれていました。


どこか解りますか? 毘沙門堂が昔ありました。



こんな花火が撮ってみたかったです。





9月24日の早朝 霊火堂の様子が違うのが解りますか?


23日に行われた、廿日市市の花火大会。2尺玉が上がると聞いていましたが

見事に外してしまいました。
まさか、中ごろに上がるとは思っていませんでした。


9月11日(火) たのもさん 紅葉谷 四之宮神社 18時〜





もみじ谷の入り口 岩惣の建物の中に、船がおいてあります。9/3
 

PHOTO BY TAKAO









四之宮神社に飾られた船 そして、一隻だけだ鳥居をくぐって沖合いへ出て行きました。


9月9日-11日  宮島ローソク祭 万燈会 18時〜21時  大聖院

大聖院 萬燈会コンサート

大聖院主催、宮島弥山倶楽部協賛、

 まりあす 中家志乃と姉妹 宇月彩、木本いず美



詳しくはココをクリック 拡大します



まりあすさん   中家姉妹    宇月さん  木本さん

演奏と歌が続きました


9/8

宮島厳島神社 社籠

18時30分開門。顔見知りの方が多くおられた。
本殿で神儀があったので参加した。その後、高舞台では地元の方の演芸が始まった。
踊り、歌など各種芸達者が出演。
宮島弥山倶楽部は今回はステージは不参加。上綱さんたちも駆けつけたが、
ステージに立つことはなかった。
300名くらいの方が、
無礼講で各自弁当とお酒を持参して回廊に座り込んで楽しんでいる。公になってないので、
観光客は、ほとんどいない。
満潮で回廊は美しい。9時前には終了した。終了後、三笠浜に行き、鳥居を撮って桟橋に向かった。
最終便で帰ることになった、知り合いも多く居た。船の最終便は、10時14分だった。

今回は、藤原は弁当を食べるのが忙しく、皆さんの写真を撮ることが出来ませんでした。
宮島弥山倶楽部のメンバーの、平家琵琶 荒尾さんすいません。
昨年の作品を越えることは出来そうになかったので・・・。

上記の写真は、2006年撮影分



宮島踊り



伊藤洋子さん


どなたかわかりません


錦水館の武内社長 トニー武内さん カントリーウェスタン



宮島観光協会 事務局長 浜田さんたちの宮島太鼓

皆さん才能豊か


回廊にござを敷いて、思い思いに聞き入っていました。



今年の宮島水中花火は 8月14日

宮島弥山倶楽部の内藤さんから(2006年撮影)

今年は趣向が変わっていました

午後7時50分〜8時50分

第1景 預かりし神の島
第2景 百万一心 元就の想いに寄せて
第3景 宮島の夢、宮島の時
第4景 喜びの歳月とともに弐千年
第5景 歌詠み人のこころ
第6景 咲く華 終わらぬ夢物語
第7景 受け継ぎし流るる時の間


2007年 宮島花火大会  photo by TAKAO FUJIWARA
極楽寺山より



高速道路 山陽道 宮島サービスエリアより


管絃祭について

まずは本殿で




みこしの頭につける、鳳凰をさわらせて下さいました


続いて、4名を背中に担いで


17時30分過ぎ、地御前神社に向かって出発



皆で、長浜神社で帰ってくるのを待ちました。
9時帰還
 

 

ちょうちん行列をして神社に向かいます

クライマックス、満潮になった廻廊の近くまで船は入ってきて
3回廻りました。
   



祭りの後の静寂は素晴らしい


11時45分


takao 6/21 宮島三昧

5時30分起床。準備をして宮島に向かった。
今日は、弥山本堂へお参りに行くことが目的だった。
桟橋で到着が遅れたのでロープウェーの社長には会えなかったので、ロープウェーまで行くことにした。
まだ、商店街はオープンしていない、
もみじ谷の入口にある、
メンバーのお店「佐々木八重子の店」の前を通ると息子の千太郎さんがいたので、
撮影の申し込みをしてから弥山へ向かった、
ロープウェーで尾ア社長と少し話をして後に、もみじ谷ルートを登った。
いつもはグループで2時間以上かけて登るが、
本日は一人で登るために、自分のペースで行く。四国遍路の時と同じ正装で登る。
天気予報は雨だったが、気配もない。
蒸し暑い。今までは、弥山本堂まで50分くらいで登ったのが最短時間。
しかし、最近はスタジオ勤務のために、足腰が弱っているので到底無理。
少しずつ休みながら登る。
10丁あたりから、座って休む時間が増える。
5回くらい休憩をして弥山本堂に着いた。
途中から、一生懸命登らないで、少しえらそうなか格好にしたら、スピードは落ちたが楽になった。
1時間で弥山本堂に到着。本徳さんが留守番だったので、三鬼権現に祈祷をお願いした。
初めてのことなので、作法が分からないので聞きながら行なってもらった。
予想以上に長い時間の祈祷であった。
本徳さんも終わったら、汗だくになっていた。弥山本堂は、下界よりの5度くらい気温が低いので、
気持ちが良い気温ではあったが、一生懸命祈祷してもらっているのが伝わってきた。
その後、むすびを食べた後、大元をを下山する準備をしていたら、
外国の女性が道に迷っているようすだったので、
どこから下るのか聞いたら、歩いて下りたいという。
大聖院ルートを下ると言うので、クローズだと伝えると、困ったような顔をしたので、
大元を下るのであれば、一緒に行きましょうと伝えた。
20分ほど待っているので、頂上へ行ってきなさいと伝えた。
しばらく待っていたら戻ってきたので、まず、自分の身分を説明し今後の予定を伝え、了解かどうか聞いた。
OKということだったので、時間があれば、大聖院へ行くので行きましょうと伝えた。
まず、御山神社へ行き、奥の院の説明。大聖院ルートの入口に行き、
間違いなく通行止めを説明した後、駒ケ林に向かった。
古戦場である事を伝え、そのまま大元ルートに入り下りはじめた。
岩屋大師・風穴・イルカ岩・蛇岩などを説明しながら下った。
鯉の親子に感激して写真を撮っていた。
大元神社に行き、ここでどうするかを確認。3時になっていた。
4時に桟橋に帰ることになって言うので、大願寺を案内して、ここで解散して、
私は一人で大聖院へ向かった。
大黒天が出来ていると聞いたが、間違いだった。
佐々木八重子さんの店に戻り、有名な女将さんと息子の写真、商品などを撮って、
今度は、広川さんの所によって少し話をした。
お客さんが増えてきたのでお店を出た。
宮郷さんの所に立ち寄って、木村さんの店に行ったが、不在だったので、
ふたたび宮郷さんの店に戻り、しばらくゆっくり話をしていた。
店は、すでに閉店していたので、お客さんは入ってこなかった。
木村さんの店に戻り、しばらく話しをしたが、修学旅行のシーズンで、
小学生がお店に波のように押し寄せる。
帰りに、町かどに立ち寄って、生写真の話をして、やっと宮島を離れるために、
桟橋に向かった。
8時45分の船に乗ったら、観光協会の中村会長と会ったので、
今日の外国のかたへの配慮について話をした。長い1日だったが終わった。


宮島探検記

メンバー情報

一般の方は、やめた方が良いです。救護隊の出動という羽目になりそうです。

今日 宮島の最西端 革篭(こうご)崎の 探索をしてきました。
10時間 かなり ハードでした。
あての木浦 から 革篭崎までは 干潮なら 突端までいけそうです。 
但し そこから 東に回り込み、青海苔浜までは 断崖のようで一周できるかどうか分かりません。
岩船山から 御床山までは 行けるのですが、その先 今の時期はシダで覆われて無理なようです。

ルートと 時間は

桟橋 〜 広大 〜 大川浦  〜 御床浦 〜 下谷 〜 あての木浦 
7.20    8.35     9.40  山道 10.30  山道11.20    12.10

  あての木浦 から 革篭崎の方へ 20分ほど進む

あての木浦 〜 下谷  〜 御床浦 〜 大川浦 〜 広大 〜 桟橋
13.15        13.50 海岸 14.10  海岸14.45   16.00    17.30
 
 帰りは 干潮でしたので 下谷 〜御床浦 〜大川浦の海岸を歩きました。
 海岸を進む方が 時間は短縮できます。
テープが随所にあり 捜しながら行けば 迷うことはありませんが 難路です。
標識は 大川浦・御床浦 ・下谷にあリますが、 それぞれの浜はそこがどこなのか
表示は無いため詳細地図が必携です。
宮島を 一周するのは 並大抵ではありません。


大川浦(大江浦?) 

  
御床神社

 
あての木浦 


 
革篭崎 可部島


 
御床山 岩船山


 
御床浦烏帽子岩



標識(場所を特定した情報なし)


海上から見た写真(撮影は藤原)

ここからは、宮島を時計周りで撮っています。


青海苔浦


養父崎



山白浜


このあたりは、海岸線を進むことは困難と思われる


革篭崎(こうごさき) 可部島




革篭崎


最南端からの景色




須屋浦 後方は岩船山






須屋浦


御床神社がかすかに見えます


左の海岸が大川浦?


内侍岩


多々良

ここをクリック 参照事項もあり


映画にもなった、昭和20年代まで山中で暮らしていたそうですが、詳しいことは分かりません。
山窩(サンカ)

 レンタルビデオでみることが出来ます
『瀬降り物語』125分 1985.5.11初公開 
監督 中島 貞夫
出演  萩原健一 殿山泰司 藤田弓子 内藤剛志 早乙女愛 斉藤喜之 河野美也子

瀬降りと呼ばれる定住地を持たない漂泊の民の生活を描くなかで、邦画には珍しい大きなスケールと様々な問題提起を含む中身の濃い作品となった。具体的には、厳しい自然のなかで、自然と戦いながらではなく、自然とともに、つましく逞しく生きる彼らの生活を描くことで、自然との一体感が稀薄な現代人に自然と人間との関係を問い直しているということである。この作品で描かれる彼らの生活・性・出産・死といったものからは、人間の原存在とも言うべき、自然界のなかでの人間の原点といったものが窺える。その辺りは、今村昌平の『楢山節考』にも共通するところであるが、この作品がそれを越えていると思われるのは、彼らの生活を描くだけではなく、それを支える構造への視点があるとともにそれを脅かす対立構造をも捉えている点である。
 彼らの生活を支えているのは、ハタムラという掟であり、そのハタムラを権威づける、太陽(アヌさん)を頂点とする自然への信仰である。彼らにおいてハタムラは絶対であり、それを守り維持していくために親分(ヤゾウ)の存在を置いている。ヤゾウは、オオヤゾウの下、各瀬降りたちがハタムラを守り、維持させていくために働く。ハタムラ破りに対しては厳しく処罰するが、ハタムラを守る瀬降りたちには相談役であるだけでなく、直接に生活を援助し、保護してくれる頼もしい存在である。それゆえヤゾウは、ハタムラの権威を体現していなければならない。
 ここに集団支配における権力と権威の問題が浮びあがってくる。権威を伴ったハタムラによる支配は、支配というより統治であり、彼らにとっても必要な事柄であるが、その一方、日本国という国家は、彼らにとって単なる権力機構に過ぎない。それは彼らの生活にとって欠くべからざるものではないからである。国家は、大自然のように彼らに恩恵と謹厳さを与えてはいない。だから権威がないのである。ハタムラを維持させるヤゾウは、厳しくても困った時には頼りになる存在だが、国家を維持させる軍隊や警察は、単に恐ろしいだけの権力集団に過ぎない。軍隊や警察がヤゾウより執行力が強くても、ハタムラを破ることより徴兵拒否を選ぶのは、そこに権威の問題があるからである。権威を内に抱く者にとって、権威は権力より遥かに畏れ多いものなのである。
 また、この作品には、ハタムラという厳しい戒律を持ち、自然への信仰を持つ彼ら瀬降りの素朴さと純真さが、その生活様式の原始さゆえか卑しいと差別する一般平民との対照のなかで鮮やかに描かれている。瀬降りたちは、一般平民を素人(トウシロ)と呼び、嘘つきだと軽蔑していて、まるでインディアンと白人の関係のようである。ここに人間の人格と信仰の問題が浮びあがってくる。自らを越える存在としての自然への信仰と戒律が、瀬降りたちの素朴さ純真さを造りあげている一方、平民にも彼らを越える存在として天皇があり、国家があるのに、そこに真の信仰がないから、瀬降りのような素朴さ純真さが育たずにヒエラルキーが形成されるだけなのである。真の信仰を失った宗教や教会制度においても同じことが言える。人間社会が組織化と合理化により整備され、人間自身のものとなっていくほどに、換言すれば進化するほどに人間から信仰心が失われ、却って人間自身はダメになってきているのではないかという問いかけがある。
 特に瀬降りたちの素朴さと凛凛しさは男と女の生き様のなかに顕著で、根は善良ながら軽薄でお調子者だったトウシロの男が、瀬降りの娘の疑うことを知らぬ純真さと一途さに打たれ、また己が優柔不断さ故に娘の母親を集団暴行で虐殺させてしまったことへの自責もあって、トウシロを捨て、国を捨て、村を捨て、瀬降りとして生きることを選ぶラストのくだりは、現代にも通じる人間の生き方を考えるうえでの作り手の率直な回答だとも言える。
 役者としては、萩原健一がはまり役で存在感があり、藤田弓子の熱演が印象に残る。いろいろな問題を提起しながら一番底にあったのは、やはり、男とは、女とは、ということであり、分けても男の男らしさを再認識するところだったようにも思う。なかなかメッセージ豊かな作品である。



このほか、日本には古代文字があり漢字が登場するまでは通常に使われたいたのでは
ないかと思いますが、専門家ではないので推測の域です。

サンカについての記事が弥山倶楽部HPに記載されておりましたが,これについては,「すべてが三角寛のでっちあげである」という論文が沖浦和光(かずてる)氏から出されており,沖浦和光の説が合理的で妥当性の高いものだと評価されております。したがって,サンカ文学,サンカ文字等は存在しないと考えた方がいいと思います。
参考文献は 沖浦和光「幻の漂泊民・サンカ」,または筒井 功「サンカの真実 三角寛の虚構」などです。





他にも各地に、ローマ字などと同じように、文字自体に意味のない記号だったのかもしれません。
今後、続々と掲載します。


NETからみつけた情報

余談−鳥居としめ縄の起源−

天手力男が天の岩戸を開けたとき、常世の長鳴鳥が鳴いて暁(岩戸から日が射し込んだ時)を知らせたので、以後神前には鶏の止まり木を作るようになりました。それが鳥居の始まりです。また、もう二度と天照大神が岩戸に入らないようにと神々は天の岩戸の入り口に稲わらで作った締めくくり縄を張りました。この締めくくり縄が「しめ縄」の始まりで、以後神聖な場所にはしめ縄が張られ、「神聖な場所の標識」になったのです。しめ縄は「七五三(しめな)縄」ともいわれ、縄目の七・五または三の所に「わらさがり」をつけ、さらに白い紙で「しめ子」をつけます。


岩船山山頂から20mくらい下った場所。


岩船山山頂付近にある、明らかに加工された形跡のある岩。
動物が、草をかじっているようにも見えますね。

切り口から見ると、そんなに古いものとは思われません。

不思議です。




厳島と古代史について興味深い
HPを見つけました。
本人にもお会いすることが出来ました。
4月21日、二人で藪の中に分け入り、実物を探しましたが
本命にはたどり着くことが出来ませんでした。
一部は見ることが出来ました。
自然のなす業なのか
古代人が人工的に作ったものか
私には、確信を持って言えませんが
興味のある方は、是非、覗いてみてください。
また、一緒に発掘に行きたい方は、連絡下さい。
古いタタラの跡も見つかっています。
多分、このHPを覗いても
理解できる方は、稀有に近いかもしれません。

さあ、どうぞ覗いて見てください。
真偽の判断は、ご自分でお願いいたします。



古代史は封印されている。

レンガは粘土をこねて、形を作り
太陽・火を使って作られている

古代、岩を砂から形を固め光線を使って作った
こんな発想は出来ませんか?

弥山山頂付近
(危険な場所なので、簡単には行けませんのでご注意ください。)

まるで、祠を守っている狛犬か龍に見えませんか。
残念ながら、今年の秋の台風前後に、断崖に落ちていきました。
役目を終えたのだろうと、拾い上げることはしませんでした。

やっと分かった、弥山頂上の「陰陽石」
男性と女性をイメージした石。
上が女性。下に倒れている石が男性を象徴しているものだそうです。
今回、地元の方に聞いて初めて、納得しました。



ちょっと笑えますね。


誰かの、お尻ににていませんか?



何に見えますか?
  
山中にあるもの。

ここと地下でつながっています。

ヨシリンさんより

大川浦遺跡は宮島の中心地

すげえマニアックな内容ですが…

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200705020230.html

そもそもこの大川浦には数回行ったことがあるのですが、まさかココが宮島の中心地だったとは…
しかも海岸から土器やら石器やら鏡が出るようです。。
更に近くの「御床浦」という場所に「御床神社」という小さな祠があるんですが、
(写真参照)ココは厳島神社の女神様に、
厳島神社が出来るまで滞在して貰ったという神社(要は仮住まいっすね)なんです。。
こんなのがあるというのは明らかに重要な場所ですね。
しかもこの海岸線にも巨石が多い。。(写真は無いっす…)
でっかい石って何かしらパワーがあるって言いますし…
さらに近代になると、戦後の食糧難の頃、開拓団が宮島に入って農作物とか色々作っていたようです
(しかも地図には果樹園もマークが沢山あります。)
宮島のいたるところに入ったようですが、結果的には定着はしなかったようですね。
実際に牛や馬が通りやすいように道が大きくなっていたり、
海岸からチョット入ったところに古いサニーが乗り捨ててあったりと当時の面影が残ってます。。

うーん面白くなってきたぞ〜まさに考古学ロマンだ〜

続、大川浦遺跡は宮島の中心地

前回の続きです。
マイミクのぱわさんより、大川浦近くの大きな巨石の写真を頂きました。
海面に出てる部分はそんなに大きくはないのですが、全部が出るとなかなかのサイズです。
写真の私の身長が174pなんでだいたい4mはあろうかと思います。
その中で気になるのは、側面を切り落としたようになっていることなのです。
自然になったにしてはどうも綺麗に落とされてるし、海岸なら波の影響も受けると思うし…
このような岩は宮島のいたるところにあって、ますます疑問が沸いてきます。
またまた面白くなってきたぞ。。


5月15日 御島廻り



もう少し情報を入れたいのですが、皆様からの情報をお待ちしています。
ここをクリックすると写真が見れます。

厳島神社神紋(剣花菱)の由来と七浦めぐり

神殿の造営の託宣を受けた佐伯鞍職(所ノ翁)は、神カラスの先導によって、上陸したのが御床浦の大岩の上である。
この岩には亀の甲羅の形をした割れ目が入っていたのだ。
 太古から神秘とされていた亀甲の割れ目は神の暗示であるということになり、神紋に制定されたという。

次に七浦めぐりであるが、舟歌で「安芸の宮島回れば七里、浦は七浦七恵比須」というのがあった。
社殿に向かって左回りを通例とする。願主は吉日を選び社務所に島めぐりの神事を申し込む。
当日は未明に起きてミソギの祓いをしてから船に乗り、七浦にある神社を拝するのである。




@杉ノ浦
 この神社には、底津少童命を御祀りしてある。
 ここで神官が祝詞を奏上し、楽を奏して、願主がそれぞれ拝し終わると「あさげノ式」がある。

A鷹ノ巣浦
 別名高巣浦(タカスウラ)
 ここでは、底津男命を御祀りしてある。

B腰細浦
 別名腰少浦(コシホソウラ)
  ここでは、中津少童命を御祀りしてある。

C青海苔浦
 ここでは中筒男命を御祀りしてある。 

D山白浦
 ここでは表津少童命を御祀りしてある。 

E須屋浦
  ここでは、表筒男命を御祀りしてある。

F御床浦
 イチキシマヒメノ命が天降りたまいし時の真床である。ここではイチキシマヒメノ命を御祀りしてある。 

なぜ七浦を巡るのかと言うと、そもそも佐伯鞍職(所ノ翁)は、神カラスの先導によって、この七浦を巡り、
現社殿のある三笠浦(御笠の浜)までくると神カラスは、
くわえていた白羽の矢を落として社殿造営の適地であることを告げた事で島巡りの儀式となって伝わったことによる。


ダライ・ラマ、米大学で講演し数年以内の引退を示唆

 [ノーサンプトン(米マサチューセッツ州) 9日 ロイター] 
チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世(71)が9日、数年以内の引退を考えていることを明らかにした。
ラマ氏が、当地のスミス・カレッジで学生や教員など約5000人を前に行った講演で語った。
 ラマ氏は、自身は現在半隠居状態だとした上で、「数年以内には完全に隠居するつもりだ」と述べた。
 ラマ氏は、1959年以降インド北部のダラムサラを拠点にチベット亡命政府の樹立を目指す運動を続けており
1989年にはノーベル平和賞に輝いた。
c Reuters 2007. All Rights Reserved.

弥山開創1200年祭記念行事
大聖院で発売中 ¥1,000
「時空のおくりもの〜1200年弥山」

PHOTO by TAKAO FUJIWRA

Macoさん上綱克彦さん
 




宮島弥山倶楽部ノメンバー 織田さんが制作
まもなく、発売!!

織田さんのHPが更新されました


町石研究家の岩崎義一さんから

可部の福王寺山に 町石の確認に 登ってきました。
2ルートに渡り 24丁から21基と 13丁までの12基 の二種類が存在していました。
  

福王寺についてのtakaoページはここをクリック

極楽寺 お菊地蔵旧道にも 5基確認。 一二丁と四・五・六丁
  

極楽寺についてのtakaoページはここをクリック

奈良・金剛山(見たのは5基)



信貴山(三種類 8基)

大聖院 冊子の改訂版が出版されました。


30ページ

中の写真が、数十点差し替えられた改訂版が出ました。


不思議な写真が撮れていました


2月3日 大願寺の星祭りにて


ついに、私も発見
白いタヌキ

ついに、宮島に白い狸登場


大聖院の湛海さん撮影


2007.2.3 桟橋から五木茶屋へ向かう途中


60年前の台風で、紅葉谷を転がり落ちてきた岩だそうです。


こんな、句碑が在るのをご存知ですか?



大元ルートの4町の手前、登り右手の岩のしたにある仏像です。
つい、通りすぎてしまいます。
登って探してください。


私のホームページ宮島の文学碑 で すべて わかります
    http://www008.upp.so-net.ne.jp/mmchoseki/bungakuhi.html
 
誰か 文学に詳しい人 解説してもらいたいのですが。
 
-----------------------------------------
************
     岩崎 義一
  fhaidr@jg8.so-net.ne.jp
************-


町石冊子 配布始めます
「弥山町石」の道しるべの冊子(宮島パークボランティア発行)が 中国新聞に 紹介されました。
読者の方より 手に入れたいとの 要望が沢山きて 反響の大きさに関心の高さに驚いています。
町石冊子の配布を始めますので ホームページにても 申込方法を お伝えします。
宮島弥山倶楽部の方も 是非ご覧下さい。 
 
    申込方法  郵送にて 実費300円分の切手を同封の上、 
            〒731-5127広島市佐伯区五日市1−1−16−903
            岩崎 義一  宛まで申し込んでください。
    問い合わせ先   fhaidr@jg8.so-net.ne.jp        
  




今日 久しぶりに 廿日市・平良から 極楽寺山に登りました。
新たに 途中の看板に 手書きで 「ここは ○丁 あと □丁」と
付け加えられていました。
山頂まで 37丁の 町石の欠けたところでは 手づくりで
表示がされています。
極楽寺でも 町石に関心がもたれだしたのかと 嬉しくなります。
 
--------------------------------------
 
全国の町石を調べていたら 奈良・金剛山 と 和歌山で
次のような 町石復活の活動を されていることを知りました。
 
◎関屋道町石再建プロジェクト 日程決定 9月17日(日)
 集合場所 水越峠の東屋朝9時
 関屋道町石再建プロジェクト
 実施日は9月17日(日)に
 暑い夏の日を避けて気持ちよく秋の日に
 お弁当・水筒持参 おやつ1000円まで
   立て直し町石27番(朝原寺上) 掘り起こし35番 引き上げ37番
 工法 1.穴を掘る(町石の1/5が埋まる程度)
     2.大きな礎石を投入 
     3.町石を立てる 
     4.周りに土を盛り突き固める
 それぞれ皆さんの疲れ具合を見てどの町石まで進めるか現地判断で
 なお 冷やかし歓迎 手伝い大歓迎 の方向で・・ 平成の町石道を創ろう
 
 

◎JR妙寺駅を起点に、南100mの平和祈念公園・地蔵尊から三谷橋をわたり丹生酒殿神社より
  天野大社  参道の勅使坂(三谷坂)を登り天野大社へ。
  天野大社からは二ツ鳥居に向かい町石道に入って高野山を目指します。
  このルートを平成の町石道とします。
  つまり、新たなハイキングコースに町石を建立します。その原資はハイカーに小石を千円か5百円程度で
  買っていただきます。小石に家内安全・世界平和など願い事を書き、町石の建立の際にその小石を
  埋めま す、または平和祈念像の下に保管します。
  1.2年は木製の卒塔婆でいいでしょう。頃を見計らって石運びイベントを企画します。
  「紀伊國名所図会」のように紀ノ川から町石を人力で運んで建立・祈祷をしましょう。
 平和地蔵尊が町のシンボル、高野山へのハイキング起点とします。
  21世紀は3K(健康・環境・心)の時代です。地域の振興発展を願う住民、商工業者、健康を願う
  ハイカ ーの協力でやってみましょう。
  天野はかつらぎ町の誇る観光地です。 町石道・丹生都比売神社はユネスコの世界文化遺産として
  暫定 登録されています。
  2004年6月、世界遺産登録の運動の一環としても展開しましょう。


弥山に関わる音楽関係
CDの発売

ココをクリック

 
上綱さん関係ブログ

  


偶然ですが、12月19日 ニュースステーションで放映された空撮の様子
テレビを見て初めて、何かわかりました。
撮影したときは、弥山山頂から、滑空してきたのだと思っていました。
このあと、包が浦の方面に消えていきました。



やっと分かった、弥山頂上の「陰陽石」
男性と女性をイメージした石。
上が女性。下に倒れている石が男性を象徴しているものだそうです。
今回、地元の方に聞いて初めて、納得しました。



ちょっと笑えますね。


誰かの、お尻ににていませんか?


  宮郷さん情報

    

2月に大鳥居からはずして修理していた2枚額の修理が終わり
いよいよ明日大鳥居に取り付けられます。
写真に有るように、足場を作っています。
文字の部分は24金の金箔が張ってあり、地は本漆塗りでとてもきれいです。
周りの竜の彫刻はとても迫力があります。
いつもは海上にあるために痛みが早く10年くらいたつと
修理するようになるそうです。


大聖院ルートのスナップ(携帯電話で撮影)


夕方、下山の途中で出会ったサルたち、人並みに石段を登って来た。
目をあわさないようにしていたが、携帯カメラを向けると、怒った。


休憩する、親子。


2006.12.1 大聖院から白糸の滝方面を見る


堰堤がだいぶ完成している


どうなるのだろうか?



奉納コンサート


まずは、ご住職の挨拶から




   
伊藤洋子さん 梶川純司さん

 

中家姉妹

 
宇月彩さん 新屋まりさん
 

 
田中雅子さん

 
上綱克彦さん MACOさん

西井紅悦さん


宮島弥山倶楽部が主催のコンテスト



審査風景

「弥山への道」写真コンテストの入賞者の作品展示
(カッコ内はタイトル)

フィルム金賞 佐藤貢(あとひと息)


デジタル金賞 加川泰志(その時〜霊火堂落慶)



協賛賞(大聖院) 馬谷錬治(雪晴れ)
協賛賞(瀬戸内海汽船) 清水洋彦(渓谷散策)
協賛賞 ファーストビーチ 平岡敦生(聖崎の冬朝)
協賛賞 (広島電鉄) 亀井勝之(老いて懐かし)
協賛賞(宮島松大船) 細田宇一(瀬戸の日の出)
協賛賞(宮島ロープウェー) 煙上博隆(大茶釜を一服)
協賛賞(カメラのニイダ) 大島啓司(やあ!いらっしゃい)

入選 
金行麻理子(夕暮れに舞う)・猪瀬正子(なあに?)・清水康弘(萬鐙会 C)・真田正之(痕跡)・岩元常義(無題)
寺尾幸章(小坊主狸)・奥林奈津子(お母さんといっしょ)・栗栖薫(轟き)
内藤達郎(神の磐座石に抱かれて)・西谷正子(慈悲)

ファミリー賞 
佐藤忠(力持ちは誰だA)・嶋岡伸好(お披露目)・三浦那津子(親子)・中村公子(昼下がり)・河野早登(弥山の大岩群)・

佳作
 望月彰(入浜にて1)・横畠良司(厳島の春)・伊達三代子(ようこそ 大聖院へ)・田中努(弥山への誘い)・佐々木紘(輝海)

詳しくは ここをクリックしてください

審査委員長 瀬戸内海汽船 会長 仁田一也さん
審査委員  日の丸産業 社長 河尻清さん
審査委員  大聖院住職 吉田正裕さん
審査委員  宮島ロープウェー 社長 尾ア宏明さん
審査委員  ニイダ 店長 讃岐芳明さん
審査委員  スタジオタカオ 藤原隆雄



  
フィルム金賞受賞 佐藤さん(授与者 吉田住職)      デジタル金賞受賞の加川さん(授与者 河尻さん)





皆で集合写真


北海道に旅行中のメンバーさんから

岩崎義一さんがホームページを開設されました。
ココをクリック下さい。

弥山への道」ルート情報

19日に宮島弥山倶楽部の梅田さんから電話をもらいました。
大元ルートの、壊れた看板等が修理されていたそうです。

佐渡島で見た、材木の利用例を掲載します。
両津港のジェットフォイル(新潟-佐渡を1時間でつなぐ高速船)の待合室にあったベンチです。


  

詳しくはココをクリックください

「行政へ提言!!宮島弥山ファンの意見交換会」

その後の顛末

提言内容を、現在整理中ですが
まずは、壊れた標識を見つけたら、
環境省・広島県環境保全局・広島県教育委員会・廿日市市教育委員会・宮島観光事務所
にメールで写真を送っています。
町石については、「平成の町石整備」委員会を発足させる準備をしています。

岩崎義一 報告(町石等に関しても含む)
ココをクリック

弥山への道への標識の作成!

どこに必要なのかを調査して
提言を行います。
関係者が一緒になって登って、現地調査を検討しています

詳しくは、ココをクリックください


弥山霊火堂にお参りに来られた方に
お接待で差し上げようと
宮島弥山倶楽部は先日より
ボランティアで集まって、材木割りからスタート
一部、完成お渡しをしましたが
表面の木目が邪魔をして、うまく焼印が押せなく
弥山本堂のそばで、削っています。
写真は梅田さんが、サンダーを使って表面を滑らかにしています。
弥山霊火堂に行かれた時は、是非、1枚お持ち帰り下さい。
完成写真も掲載します。

ココをクリック

  2006.7.30

焼印のある、木札をご希望の方は、弥山霊火堂に登っていただいてください。


10月7日8日 弥山山頂撮影会は無事終了しました。

 






PHOTO by SANUKI


ご祈祷をしていただき、解散。

作品は、作品展にてご披露となります。


宮島弥山倶楽部のメンバーが見つけて、写真を送ってこられました。
この写真の石は、人工物?自然石?
どちらに見えますか?
皆さんの感性をお知らせください。
携帯メールで送られて来ました。






奥行き3M位の穴があります。岩どうしが鳥居を築くみたいです


どこでしょうか?

 


白鬚大明神は移動するこちになったそうです


18日 弥山三鬼堂前を清掃奉仕する梅田さん。頑張ってください。
山崎さんも登ったようです。



白糸の滝 
大聖院より撮影。8月31日


白糸の滝の左の岩・・・気のせいか落ちてきていませんか?2006.8.2 撮影

  
                                            角度が違うので難しいですが。右の写真は、災害直後


大聖院 大聖院のコーナーはココをクリック

1200年前の食材を使用した料理「食事会」
<要予約>
ラストチャンス

古代食材を使った料理が味わえるようになりました。
毎月1日12時より  ¥5,000 ¥7,000 コースがあります。



宮島 大聖院 弥山開創1200年祭記念行事から

問合せは 大聖院へ(そのほかの日時で希望される方は、直接申し込んでください)
0829-44-0111

料理写真はここをクリック  
試食会の料理です。季節によって内容は変わりますのでご承知ください。

1日11時から
霊宝館の落慶法要があります。



3月19日 清盛まつり風景
今年の清盛は、廿日市 山下市長

 

  


USACO san

もみじ饅頭が大好きです。
これでもか!!って言うほどもみじ饅頭だらけのサイトです。
「もみまん通」
http://www.aa.alpha-net.ne.jp/usaco3/momiman/
宮島にも良く足を運ぶので、ちょっとだけ詳しいです。


厳島神社の入江・・・清盛造営の人工湾だった 




大元ルートにある「接吻岩」

宮島 「乙女の涙」とも
土石流の跡(幕岩付近)に雪がつもり、観音様の目が開いたと言われます。


中国新聞ホームページより

中国新聞地域ニュース

息づく歴史 シンポで宮島語る '05/10/10

 世界遺産の島・宮島の魅力を探るシンポジウム「新みやじま学―歴史遺産を生かす」(中国新聞社主催)が九日、広島県宮島町であった。中国新聞新工場建設と廿日市市・宮島町・大野町合併の記念事業。作家の見延典子さんたちが新たな視点で宮島像を浮かび上がらせた。

 明治時代から残る会場の旅館岩惣「遊仙閣」には約二百人が詰めかけた。中国新聞朝刊で「頼山陽」を連載中の見延さんは「宮島の磁力」と題し、記念講演。「頼山陽が『日本外史』を執筆したのも宮島の歴史風土に触発されたからでは」との見方を明らかにした。

 パネル討論ではまず、時代ごとの宮島史を検証。広島大大学院の古瀬清秀教授(考古学)は島の西部の大川浦で見つかった十一世紀ごろの青銅鏡などを根拠に、「瀬戸内海の航海の安全を祈る祭(さい)祀(し)の場があったようだ」との見解を示した。

 秋山伸隆・県立広島大人間文化学部長は、中世の宮島像について「対岸の廿日市と一体となった交易拠点として、国際性も際立っていた」と語り、今回の一市二町の合併の原点だとした。

 信仰に加えて観光・歓楽の島となった江戸時代の実像については、宮島歴史民俗資料館の高橋修三副館長が「市と芝居、富くじが暮らしを支える大きな存在だった」と分析し、当時のにぎわい創出の努力をしのんだ。

 一方、来年で開基千二百年を迎える弥山で撮影を続ける写真家の藤原隆雄さんは「宮島のあらゆる情報が分かるネットワークづくりを目指したい」と決意を表明した。

 ◇ ◇ ◇

11月1日付の中国新聞広島制作センター(大野町)完成記念の別刷り特集で、シンポジウムの詳報を掲載します

【写真説明】明治期の建造物を舞台に、世界遺産の島の歴史と魅力を新たな視点から議論したシンポジウム(撮影・田中慎二)


弥山の標高が訂正されました

こんばんわ
情報有り難うございます。
さっそく 国土地理院のページを見ましたら出ていました。

5メートル高くなったのですね、 岩の上なら当然 高くなるのですが、
ある宮島の故老の話では この岩は 神の鎮座する磐座石だから 
むやみに登るべからず、ということになります。
三角点をタッチするために 磐座石に登る者が 出てくるのは
困ったものです。

http://www.gsi.go.jp/WNEW/PRESS-RELEASE/2005/1006.htm

発表日時:平成17年10月6日(木)14時00分

厳島の最高峰「弥山(みせん)」の標高値が変わります
−現地測量の結果、これまでより5m高い535mに改定−

--------------------------------------------------------------------------------
 国土地理院(院長 矢口 彰【やぐちあきら】)は、厳島(宮島)の最高峰「弥山」(広島県宮島町)の最も高い地点に
ついて、現地で測量を行った結果535mであることを確認しました。

 厳島は、世界文化遺産の「厳島神社」をはじめ、その周辺と弥山原生林を含む区域は世界遺産に登録されており、毎年多くの観光客が訪れています。

 これまで国土地理院が公表している「日本の山岳標高一覧(1003山)」では、
明治25年に設置された二等三角点「みせん御山」の高さ530mを、弥山の最高地点としてきました。
今回の測量で、弥山の三角点より南南西方向約16.8mの地点が、
三角点より約5m高いことを確認し、その地点を弥山の標高値とすることとしました。

 これにより、国土地理院ホームページ上の「日本の主な山岳標高 −日本の山岳標高一覧(1003山)−」に
おける弥山の標高値を535mに改定し、
今後、2万5千分の1地形図にこの地点と標高値を表示します。

 国土地理院ホームページ「日本の主な山岳標高 −日本の山岳標高一覧(1003山)−」のサイトは、http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MOUNTAIN/mountain.htmlです。


  資料−1 弥山の位置図
  資料−2 最高地点と三角点の関係
  資料−3 広島県の主な山岳標高一覧【PDF: 14KB】

-------------------------------------------------------------------




2005.8.2 大聖院ルート 6丁あたりの茶屋から


MIYAZIMA

  
大正の頃に販売されていた、宮島の絵葉書の袋




厳島町石(丁石)めぐり


この町石は、大聖院の登り口にあります。
右手に大聖院へ入る川沿いの赤い橋の近くです。
この次の2丁は滝不動の手前左手にあります。

皆さん、ご存知ですか
宮島にこのような道しるべ(町石)はいくつあるか?
岩崎義一さんに教えていただき、ここ数ヶ月で写真を撮りました。
77基の町石が確認されています。(ひとつは、未承認ですが)
大元ルート・もみじ谷ルート。大聖院ルート・奥の院ルートにあります。
今度、町石探しめぐりも企画しています。
ゆっくりの登りますから、健脚でなくてもだいじょうぶす。
連絡をまっています。
E-mail



中国新聞 2005.1.11 朝刊に記事紹介がありました。
ここをクリックすると、全文が出ます。



宮島 大聖院で発売開始!!
特別価格 ¥1,500


広島経済同友会が募集した「みんなで創るひろしま観光ポスター」の表彰式がありました



残念ながら、我がチームの作品は、優秀賞(2位)でした。

今後、12月ごろまで、応募作品も含めて作品展があるそうです。
詳しくは、広島経済同友会ホームページで案内があるようです。


タカオチーム製作 優秀賞(実質 2位)


コメントが少し違います。
見に行ってください。

そのほか、各地の仏像を紹介した作品も展示しています。


リーガ 1階ロビー



ふと雑誌を見ていたら、どこかで見たような写真に出くわした。
昨年、私が撮った写真である。
撮影者の名前が出ていないので、うっかり見過ごすところだった。
この写真を見ていて、あれ、炎に人の顔がある!!
じっと見てください。見えませんか。